夢を見た。
真っ白な世界の中に、自分と誰かがいて、それはただ前に進んでゆくしかないようだ。
一体誰だったのか、隣にいたのは。
覚醒した瞬間は覚えていたことが、今はもう思い出せない。
それは先日、立ち寄った本屋で一問だけみた心理テストのようだった。
「貴方は深い森の中にいます。その森は深いですが、抜け出せるほどの深さでしょうか。
抜け出せない深さでしょうか。それとも意外と深くはないただの森でしょうか。」
「そうして森の先で誰かがいます。それは誰ですか?」影響されやすい私の夢は、まるで何か選択しなければいけないように、非現実な夢が落ちる。
私は真っ白な箱のような場所に在って、誰か分からない人と、その場所から歩もうとしている。
急に私は、隣の相手をまるで振り切るように離れ、いつしか奥行きの出来た白の箱の始めに戻ろうとしている。
そうして真っ白な壁とも検討のつかない場所に、たぶん鮮やかな赤い扉が出現した。
私は扉を創ったのだ。
それからまた、私はその誰かと扉を後にした。
そんな夢だった。
その心理テストにはこう答えた。
「森は深くて抜け出すことが出来ない」
「そこにいたのは、気がかりな友人」森は悩みの大きさで、出会った人は一番心配している人。あるいは大事な人。そんな回答だった。
何となく下らないと気がそがれ、そのまま本を閉じた。
夢を見た後、私はほんの僅かな安堵と、やりきれないような、涙がこみあげるような気分になった。
森はやっぱりどうやっても深いけれど、決して悪夢のような現実じゃない。
変えられない現実はないのだと思っている方だったから、扉を創り出した自分自身のある意味での小気味良さが痛快だった。
あの扉は自分が出るためのものか、あるいは友人が出るためのものか。あるいは保険のような安心だったか。
そんなことは分からない。
ただ私はその瞬間、一つ現実を変えただけに過ぎない。
悲しみは、過ぎた時間の経過で消えてゆくというようりは、薄れ霞んでゆくといった実感の方が大きい。
曖昧な若い迸りと僅かな過ちによって色鮮やかに見えたものは、現実的な時間や流れの中で打ち棄てられた物のように転がって、蹴飛ばされてゆく。
そうやって、人々の人生を横切りながら痕跡を残し、去ってゆくんだろう。
此処には整理されない言葉が転がっていて、いつか早い時期に片付けようと思いながら壱月が過ぎて行ったのは、現実的な時間だろう。
まるで情熱を失ったような冷静な時間が流れ、何故そんなにも言葉を不信し、厭わしがったのか。
もう遠い日のことのように褪せてしまった。
思い切りの良い方だと思っていたけれど、思いの他優柔不断な雨の中に在って、私は傘をさすのも、歩き出すのも躊躇っているような感じだろうか。
明るい詩を書きとめ、形にまとめようと思い始めた。
本当はそうではなかったのだけれど。
誰かを哀しみで涙誘うよりは、心晴れ晴れするような言葉で涙誘う方が、今の私には美しく思われた。
雨が降って、降って、泣きたい時分だから、きっと誰かが笑顔になれるような、そんな言葉を選ぶ方が今の私の現実を変える扉になるのじゃないかと。
一番笑って欲しい人が、其処にいるから。