パラソルの少女
2006/07/24(Mon)
夏の照り付ける日差しに瞳を細めて、残像と乱光の中に佇んでいた。
空気に交じる色とりどりの息吹が、眩しい陽に洗われて生を謳歌している。
いつだったか。
暑い日の夕暮れに感じた小さな悲しみは。
何が悲しかったのか。あるいは切なかったのか。
時が過ぎてゆくということは、非情なるものであるように思えた躍動の日々は過ぎ、それでもまだ心はどこかを目指して彷徨っていた。


少女はまた、いつだったか遠い日に佇んだ海にいた。
真っ白い肌に跡を残すことを厭うように、ベビーピンクの日傘をさして海岸沿いをゆっくりと歩く。
男はその少女の傍らでただ遮るものもなく、美しい陽に暴かれながら、同じ道を別々のことを考えながら歩いていた。
眩しかったのは日差しだったのか、あるいは少女が着ていた真っ白いワンピースだったか。
それとも、裾に覗く白い肢体の美しさだったか。
男は判じかねるな。と微苦笑を零したが、その実どれであるのか一番自分自身が知っていた。

海は白波を立てながら、心地良いザザーという音を奏でていた。
潮の匂いが、男にも少女の知らない海へといざなっている。
少女のように多感な心ではないしろ、男にも思い出される海の景色があった。

「そうやっていると、忘れてしまうね?」
パラソルがくるくると回っていた。
『そうって、何がそうなの?』
「そうやって日傘なんてさしているとさ」
『さしていると何って言うの?』
「忘れてしまうのさ。キミがお転婆であることや、少女であること」
『変なことを言うのね。私はワタシよ、変わらないわ』
「違うんだよ、何かが…」

男が見つめたパラソルには、男の思考が回っていて、少女はその思考を傘全体で遮断しているように思えて、ほんの少し切なくあった。
そんな時、少女の若さが少し息苦しくも眩しくもあって、男は瞳を閉じた。

「眩しいね…」
『アナタも入る?』
「いや…」


 
海に佇む貴女は美しくて
僕には眩しすぎた
若い瑞々しい営みと 過ぎた時間の交錯が
二人に愛というものを生んだなら
僕たちにはどんな夢や未来が待っていたろう?

波が燐光を放つ貴女を求めて 飲み込んでゆこうとするなら
刹那の時間に失われてゆく貴女の欠片を
僕はかき集めて残しておくんだ
僕に出来る僅かな愛を 何としてでも抱き締めているんだろう

貴女の潔癖と誠実が いつか貴女を失わせてゆくのなら
僕がその海に還してあげよう
そして僕は この海よりも青く この海よりも広い泪で
貴女の全てを埋めるんだろう




『ねぇ、アナタはあの地平線の向こうに何が見える?』
「地平線の?」
男には、実際には何も見えなかった。
どこまでも続くように思われる海と、境界の淡い空しか…。
「キミには何か見えるの?」
『見えないわ』
「だったら…」
『バカね、想像するのよ?どんなかって』

あぁ…キミはそういう人なんだね。



もう邪魔なパラソルなんて 海にくれてやりなよ
僕と貴女の間に立ち塞がるものすべて 海にくれてやれよ

貴女が海を求めるなら
海が貴女を遠ざけるように 何もかもくれてやれ

抱き締める手を止めて
艶めく唇が何の言葉を発したかも分からないまま引き寄せた腕の強さが
貴女を瞬間傷付けても 海ほどには貴女を悲しませはしない

ふわりと傾いたパラソルの影に 貴女の瞳が縫い付けられて
行き場のない薄ピンクのパラソルだけが転がって…
僕の腕には暑すぎる温もりがあって
それがどんなに嬉しくも 悲しくもあるのだろう

そんな二人の間に立ちこめる暗雲さえ 海にくれてやろうじゃないか
海がそうやっていくうちに根をあげたら
僕は笑ってやる
そのくらいも飲み込めないのかって

海よ
ほんの束の間 足を浸した少女を奪い去ってゆくのなら
その深遠の底に深い傷跡を残して 僕は呪ってやろう

海よ
その際限ない美しさの中に 少女の見た地平線の向こうを
どうか 消さないでほしい
それが永遠でなくとも…

海よ
愛して止まない少女の海よ
貴女よ 今はこのまま腕に抱かれたままで・・・




『いつかね、このパラソルを投げ捨てて、戻ってゆくの』
「戻る?何処に?」
『懐かしい日々に』
「懐かしい日々」
『そう。いつだったか過ごしてきたあの夏の日のような…』


少女が懐古した夏の日を、男はその瞬間垣間見たような気がした。
そこにはパラソルもなく、白い肌もない、けれど今よりももっと瑞々しく躍動に満ち、真っ白い貴女がいた。
そんなすべてが愛しかった。


「そんな邪魔なパラソルなんて、棄てておしまいよ?」


少女の笑顔に、見たはずのない”あの夏の日”の微笑みを見た気がした。
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